発売日 2011年10月21日
メーカー G.J? 

パネルマジック
佐野俊英というジョーカーを手札に持ちながら、ワンペアしか作れないメーカー、それが「G.J?」。料理が下手な人には幾つかのパターンがありますが、G.J?さんはレシピ通りにやろうとせずに失敗するタイプ。まともな料理を作ったことがないくせに、勝手に隠し味を入れたりして、独創的な料理を作りたがる。今回も、800×720という前代未聞の解像度で独創的すぎるエロゲを作ってくれましたよ…。

ワイドディスプレイ全盛で各メーカーがウィンドウの横幅を広げている中、まさか縦に伸ばされるとは思いもしなかったです。この不気味な画面サイズのせいで、フルスクリーンでプレイすると画面の約半分が真っ黒! 縦長になっている分、ヒロインの全身像が拝めるといった恩恵があるわけでもなく、CG自体は旧来の4:3サイズ。それでも縦に長いのは、CGの下に何故かメッセージウィンドウが取り付けられているからなのです。

メッセージウィンドウをCGの上に被せず、わざわざ独立させている理由はまったくの謎。「大人たちが作ったルールなんかクソ食らえだ!」と社会に唾吐く不良少年のように、ただ世間に反発したいがためにこんなバカな真似をしているとしか思えません。行儀良く真面目なんてできやしない気持ちも理解してあげたいですけど、G.J?さんもそこそこ年季が入ったメーカーさんなんですから、今頃になって反抗期を迎えないで欲しいよね…。


作品の下地となっているのは、高橋留美子さんの名作めぞん一刻。ラブコメの金字塔であるめぞん一刻をモチーフにしたエロゲはこれまで多々出ているものの、マドンナほど大胆にパクっている作品はないでしょう。アパートの住人たちはそれぞれ元ネタを意識した上でヒロイン化され、管理人の荻原遙に至っては容姿含めて音無響子さんそのもの(いえ、魅力は足下にも及びませんけど)。

驚くべきは、設定のみならずストーリーまで原作を拝借していること。ヒステリーを起こして泣き喚く響子さんを朱美さんが一喝する茶々丸での名場面がそのまんま引用されていたり、原作を知っている人なら思わずニヤニヤしてしまうこと請け合い……とは言えず、逆に私はイライラ。何故なら、めぞん一刻は私にとっての聖典なので、こんな雑なエロパロで汚して欲しくないんですよね~。

ただ、私がG.J?さんに平素求めていたのは、まさにめぞん一刻のような大人のラブロマンス。佐野俊英さんの描く大人の色香をまとった美女たちは、こういったジャンルでこそ映えるはずで、今までのような低俗な下ネタや幼稚なギャグが飛び交う三文コメディには絶対的に不似合い。ですから、方向性としてめぞん一刻なのは文句のないところなんですよ。

私のようにめぞん一刻に病的な思い入れさえなければ、今回のシナリオもそこそこ楽しめるレベルには仕上がっているかもしれません。前作までの散々な面々と比べたら、今回のシナリオライターは幾分まともな感じ。人数が多すぎるせいでキャラの掘り下げ方や濡れ場が薄味という相変わらずな問題はありますけど、これはむしろディレクター側の責任だと言えますね。


でも、実際のところ、そんなのはどうでもいい些事なのです。このマドンナには、総てを根本から台無しにしてしまう致命的欠陥を抱えているのですから…。

それはG.J?作品唯一の取り柄であり拠り所であるCGにおいて、明らかに佐野さんが描いたものではない絵が混入されているという事件。立ち絵では極上の美しさを湛えていたヒロインが、いざエッチシーンが始まるや否や突然似ても似つかぬ別人へと変貌してしまうんですよ! ひいいぃぃぃ!!

複数原画で、佐野さんじゃない原画家が数人のヒロインを手掛けているとかではなく、1人のヒロインに対して佐野さんが描いたCGとそうでないCGが混在しているから気持ち悪くて仕方ない。相手がなんの前触れもなく途中で別人にすり替わってしまう恐怖をひとたび味わえば、エッチシーンが始まる直前は常にお祈りの時間。「頼む! 偽者来ないでくれ…!」と。その祈りは天に届きませんが。

佐野さんの美麗なCGという唯一の信用が失われてしまったG.J?作品に、一体どれほどの価値が残っているというのでしょう。もう私がマドンナについて語りたいことは一切ないです。学校にも行かず遊んでばかりの不良息子に対して「警察のご厄介にさえならなければ…」と願うお母さんの心労と同様、「佐野さんの綺麗なCGさえ見られれば…」とG.J?さんに対してはハードルを下げに下げまくっているのに、その最低限の願いすら裏切られてしまうのですからやるせない。とても親不孝なエロゲだと思います。

バストサイズ増量・陰毛有無・立ち絵着せ替え・射精カウントダウン・乳クローズアップ・おっぱいタッチ・フルアニメーションと、肝心のカレーをかけ忘れているのに、トッピングはココイチばりに充実。パッケージの3Dレンチキュラーシートとか明らかに頑張るポイントを履き違えているように思えますが、これがG.J?さんの美学なのでしょうね。

響子さんは既に神格化された存在なので、それを俗物が装うなど許されぬ不敬ですよ。生まれてくる子供の名前も畏れ多すぎます。
2011年10月23日